
なら」と、たまたま相談に行った東京都立石神井の高等部二年編入を許されて、自炊しながら在学四年間を過ごした。
そして、あれほど望み努力した大学への進学であったが、「基礎学力のハンディは、頑張っても限度がある」と自覚したのか、そのまま印刷会社に就職し自立した。親として「寄らば大樹の陰」と喜び安心していたが、退社して四十九年夏、貯めたお金で十五カ国を四ヵ月かけて一人旅した。突然の出発報告で親をびっくりさせた。
その後、エムダブル企画に就職した。この会社は小さな会社で将来を思うと不安だったが、「やり甲斐がある」と満足な様子だった。
東京のひとり暮らしも十七年、いや十八年か。その間、度々帰郷を促したが、「東京は僕の視野を大きくしてくれる。それにときどき田舎に帰る楽しみもあるから」と言った。
結婚適齢期になり、わが家に学校関係からお嫁さんの話が持ち込まれるようになり、なかにはもったいないお話もあった。本人に伝えると、「僕のお嫁さんは、自分で見つけるから」という返事であった。
「結婚も最初は出会いからだから、一度お会いしてみたらどうか」とすすめても、ただ首を振るだけで独身貴族の心地よさに、どっぷりと浸かっている様子だった。
あるとき、話がはずんだ機会に私は本気で聞いてみた。「あなたは女の人に、もてないのかしら、お友だちはいないの」「僕はどうやら、もてるタイプのようだよ、友だちは大勢いる。その気になれば結婚オーケ
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